守屋前防衛省次官

昨日守屋前事務次官が逮捕されたと書きました。参議院での額賀氏との証人喚問が3日にせまっているので政府が検察陣に圧力を懸けて守屋氏の口封じのためのためのもと思いましたが今となればどうだか少し分からなくなったのが正直な気持ちです。

それはそれとして守屋氏について少し考えてみました。かれは東北大学の法学部の卒業です。霞ヶ関のキャリア官僚として少し毛色が違っております。彼は大学を卒業して1年間民間会社にいたようです。その後霞ヶ関では大蔵省、通産省、外務省等と違って三流官庁の防衛庁に一応キャリアとして入省しております。当時このような三流省庁のぺーぺーでは凄いコンプレックスに苛なまれたのではいでしょうか。

しかし中年になり自分の上司たちが転勤や配置換えで3つのポストが空き一挙に3階級特進の官房長の席を手に入れます。こうなれば次官まであと3ポスト、間もなく事務官では最高の次官のポストに登りつめます。恐らく気分は今太閤のようなものだったでしょう。予算の分捕り合戦はかっては凄腕だったらしい。2兆円を超える省庁での席は多くの業者が密にたかる蟻のように群がり気分の良い役所勤めを日々楽しむわけです。

中堅職員として腕を振るった時から多くの職員を配下に最高位に上り詰めた時には防衛庁を我が物顔に支配し天皇として恐れられた。それで若い課長時代から山田洋行の宮崎専務と刎頚のなかになり、最近山田洋行の宮崎専務は山田洋行を辞し日本ミライズを立ち上げた。それで宮崎元専務は社長に納まり守屋前次官に山田洋行時代からゴルフの接待300回以上、守屋前次官は宮崎元専務に便宜供与し防衛装備品納入に巨大な利益を与えている。高価な物品も守屋前次官の取り計らいで競争入札を忌避し、随意契約を宮崎元専務が出来るように取り計らったりしていた。このように守屋前次官と宮崎元専務は癒着をお互いの利益としこの世の極楽と考えていたのではないか。