学校の英語教育

8月1日の朝日新聞のオピニオン欄で学校で「使える英語」なんて幻想だ。と言う見出しで日本人の英語受容に詳しい東京大学教授斉藤兆史(よしふみ)さんが論文を書いておられる。私もこの先生が述べておられることに全く同感である。文部科学省は小学校5年生、6年生からカンバーセイションの真似事を始め高校生になれば英語の授業中にはを英語でやり取りする。私は日本の全国の小学校の先生でネイティブと同じような発音が出来るかと問えば全てノーであろう。

また高校で英語の授業を総べてやるなんて夢物語だ。私の例を引き出して申し訳ありませんせんが私は高校1年生ころから現在の判りやすく親切な英文法書ではなく理解が容易でないものと英文和訳これも難解で全ページ覚えてしまうほど繰り返し繰り返し勉強したものだ。その英文法書、英訳書は今の人には殆どなじみがないもので当時我々大学受験を狙う旧制中学の生徒や新制高校の生徒にとっては神様のような存在だった小野圭。今の英文法書、英訳書はなんと親切に判りやすく出来ていることか。

それで私は小野圭時代の英語をマスターし同時に英会話もある程度出きるようになった。勿論ある程度難解な英文を読むことも可能になり、英作文も外国人と文通ができる程度の実力が身に付いた。したがってこの斉藤先生がおしゃっていられるように日本人は明治時代からこのような英語学習法で英語をマスターしてきたのでこの方法に力を注げばよいのではないだろうか。