母乳の代わりで成長させた子供

私が生まれは1932年世界大不況のさなかで石川県の能登。生まれて直ぐに京都の叔母のところに跡継ぎがいなかったので養子で貰われてきた。なぜ子供が出来なかったのかという理由は義父が北海道生まれで体格もよく兵役に採られ寒い所の育ちだからで1917年のロシア革命の日本の干渉で満州、今の中国東北部に出兵した。

そのときに現地でよからぬ病気を患い子供が出来ない体で日本に帰ってきた。北海道の育ちですから馬に乗るのが得意。義母と当地で結婚したが現在と同じで就職が無く馬が好きなので競馬の騎手になりたかったのだが体格がよく野砲隊に所属していたくらいだから此れはだめ。就職を求めて叔母つまり義母と京都へやってきたようだ。

それで私が石川県から京都に上述のとうりで京都で育ったわけです。当時はいまのように赤ん坊に飲ませるミルクも殆どなくよほどの豊かな生活をしていれば手に入ったでしょうが北海道から京都に職を求めて出てきたくらいだからそんなに生活も豊かであったとは思はれない。当然その時代には粉ミルクのようなものは無かった。それで私が夜中に腹を空かせて泣くような時には今のような保存のための冷蔵庫も無くその度ごとに両親が代用母乳を作って飲ませて泣き止ませたそうだ。

それで何時か朝日新聞に出ていたように米をすり鉢ですって炊いた上澄みのようなものを飲ませて母乳代わりで育てたと言う記事が出ていたがそれと同じだ。大変苦労をして育てたわけでその事に感謝しなければと今でも強く感じ入る。同時に現在の豊かな世の中のあり方は当時と月とスッポンのようだ。