原爆の日

1945年8月6日の朝広島の空は青く美しく澄んでいた。8時過ぎに空襲警報の知らせでB29(エノラ・ゲイ)が一機現れた。8時15分にこのB29から広島の相生橋を目標に原爆が投下され6000mの上空で爆発し14万の人命が一瞬にして奪われ、多数の負傷者がうめき、のたうちまはり悲惨な地獄図が現出した。

8月9日には長崎に原爆が投下され死者は一瞬にして7万に及んだ。それぞれの都市では負傷者が未だに後遺症に苦しみ、多くの人が発ガンなどの不安で日夜苦しみ続けている。日本ではこの現実に対して前防衛相久間章生氏はあれで戦争が終わったんだ「しょうがない」と発言し、日本の全国民から怒りと顰蹙を買った。また米国の政府のロバート・ジョセフ核不拡散問題特使(前国務次官)は原爆は連合国軍数十万、日本人を何百万の命を救ったと述べている。

同氏は原爆の恐ろしさ、悲惨さが良くわかっていないので軽々にあのような発言があったと思われる。何度も言いたい。防衛相の小池氏が毅然たる態度で抗議すべきであった。米政府の要人が数百万の命を救ったとか、「しょうがない」などとのんきな事を言っている時ではない。我々は核を持つ事がどれだけ危険で世界を不安に落としいれるかを核所有国に抗議し怒りをあらわにする事が被爆国の国民のとるべき道である。