小林多喜二と資本主義

多くの矛盾を含みながら20世紀初頭に資本主義経済が日本にも根をはりだした。その初期にこの制度を守り発展させるためにブルジョアジー達は非合理な経済界、労働界、社会界を形成した。そのあり方に立ち向かい大変な辛酸を舐めてきた多くの先輩達がいる。

例へばこれ等の不合理性に小林多喜二、徳永直、宮本百合子などはペンで戦った。小林多喜二はこの資本主義の始まりに大資本家、支配者から自分の体が生活の糧を得る唯一の武器であると唱える。彼らは資本家から労働力の搾取、農地等を収奪することで丸々太る。その多喜ニはブルジョアジーの擁護のための官憲に捕らわれ酷い拷問などで虐殺された。

小林多喜二が戦ったあの時代の社会体制、資本主義体制とは大きな異なりを呈している。昨年末に多くの失業者がグローバル不況の結果自動車産業、家電メイカーなどから排出されこの時期に小林多喜二などが読まれたが今の若者は高度に発達した資本杉経済体制の下ではあまりピントこなかったのではないか。資本家対労働者の構図は理解できてもかって労働者が「たこ部屋」で苦しんだあの形はいまはない。

しかしインタネットカフ、漫画喫茶など一夜の露をしのぐ姿を変えた「たこ部屋」のようなものがある。しかし当時と異なり悲惨さは無い。資本主義の最後の到達点は社会主義制度。日本は1980年代から90年代の中期は資本主義経済が高揚したとき米国の経済学者エズラヴォーゲルがジャパン アズ no.1 とのたまわれた。

小泉の米国への追従で誤った構造改革を進め大きく国家経済が後退してしまった。あの時の政治を上手く操作しておれば我国民が額に汗して頑張った結果をある程度享受し安穏な生活が可能だっただろ。