葬祭場にて

昨日は金沢での兄の葬儀で金沢の葬儀場の様子を少し書きます。議場ではそれはそれわ立派な華が盛り付けられ僧侶が3人40分間の程度の読経を終する。それが終わると美しくスマートな女性が現れ、てきぱきとお棺を中央に押し出し亡骸を近しい会葬者に示し贈り花を手渡す。棺の亡骸が花で埋まるとリムジンに乗せ隣の斎場に2,3分で付く。

斎場では男性の公務員らしき人が会葬者に最後の別れをのべ釜の中の人とする。70分程度のあと骨を拾う行為で亡骸の始末は終わるわけである。この一連のプロセスは全てオートマティクに行なわれ式場、斎場ともにホテルではないかと見間違うほど美しくからりとした感じの雰囲気である。私の母が亡くなったときは昭和27年だった。

そのじぶんの京都の焼き場はじめじめとして亡骸を焼く釜の「おんぼう」といわれる焼場の職人が差配していたのと月とsッポンの違いである。昨日は肉体的にも精神的にも疲れたのか朝まで一眠りだった。経はまだ疲れが残っている。不幸な儀式は疲れるものである。