日本の敗戦j記念日にあたって

 八月15日は敗戦記念日である。日本の中以上の都市は米軍の爆撃によりほとんどが焼け野が原になった。しかし日本の国民は有史上初めての敗戦であったがたくましく立ち上がった。産業は殆どが米軍による爆撃でまともな仕事もなく戦後暫くは手探りの状態だったと思う。ここで南北朝鮮戦争が勃発した。

米国は南朝鮮を援助した。それで北朝鮮中共が支援し激しい戦いとなった。日本は米国軍の武器の修理工場となりいわゆる朝鮮特需といわれるものである。この特需をジャンプ台に日本の産業は著しく飛躍した。その後日本の工業は無人の荒野を行くごとく日本の産業製品は、欧米に快調に輸出の軌道に乗り日本は戦後10年あまりで工業製品生産は世界に追いつくほどの活力をとりもどした。

更に年を重ねると日本製品は欧米製品を席巻し日本の存在が米国などにかなりな圧力とうた。1985年に米国は日本をNYのプラザホテルに呼び欧州の英、仏、独と共に日本の円高を要請した。日本の米国が行ったプラザ合意を日本の第二の敗戦といわれる。

しかし、これにもめげず日本は世界に強力な工業製品の販売は日本の経済力を更に大きくした。これで米国の経済学者エズラ・ヴォーゲルをしてJapan as NO1と言はせしめた。しかし今ではかっての経済の日本はその座を中国におびやかされている。中国を無視してはひどい事になるような中国の経済力である。日本もこれからは中国の人的資源に立ちうできないので頭脳を使った産業製品で勝負する必要がある。

1