宮沢喜一氏元首相逝去

宮沢喜一元首相が6月28日に亡くなられた。宮沢氏は護憲派の旗頭としてリベラルな非常に穏健な人だった。宮沢氏の護憲の思想は「我国は外国で武力行使をしてはいけない」が基本原則であった。又語学が堪能で通訳を兼ねてドッジラインやシャウプ税制導入などに立ち会い正しい戦後歴史の生き証人だった。

1085年のプラザ合意に取り組まれ、急激な円高不況に取り付かれたとき中曽根内閣の時代であったが竹下蔵相を引き継ぎ円高不況に敏腕を振るわれた。

92年に当時首相だった宮沢氏は長野県軽井沢セミナーで金融機関関係の不良債券が心配で銀行への公的資金の投入に言及し、銀行救済策だと批判されると引っ込めこれが後に金融不安への手当てが遅れたと非難された。

宮沢氏はクールな知米派でベトナム戦争には強く反対しまた小泉氏のイラク戦争への日本の支持に強く疑問を呈し続けた。立派なリベラリストを失った事は誠に残念です。

また氏はフィリッピンインドネシア、マレーシアが通貨危機に陥ったときに融資を断行して非常にこれ等の国から感謝された。