稲生和久元西鉄ライオンズ投手の死去

西鉄ライオンズ元投手稲生和久氏がなくなった。特にどこが悪いとか聞いていなかったので驚いた。10月には故郷の大分県別府市に稲尾記念館が完成し、氏の投手としての銅像ができ投球フォームを披露していたばかりだった。

氏は1956年に高校から西鉄ライオンズに入団して、すぐ其の年に21勝し新人王となり、63年まで7年間20勝以上、中でも57年から59年まで30勝以上78年には42勝を上げている。これはスタルヒンと並ぶプロ野球の記録、1シーズン20連勝更に氏の恐るべき投手としての最大の活躍は日本シリーズでの巨人戦である。

後楽園球場で巨人に西鉄が3連敗もう西鉄は後がない。ここから西鉄が稲尾をたてて4連勝し日本一に輝いた試合である。一人で4試合を投げぬき、4連勝を果たし、西鉄フアン以外からも神様、仏様、稲生様と鉄腕投手と賞賛されたものである。西鉄ラオンズ黄金時代の立役者恐らくこれほどの投手はもう現れないだろうとは殆どに人に言はれ、思もはれている不世出の投手である。

また「黒い霧事件」で球界を永久追放去れた池永投手の復権運動にも力を注いでいる。選手生活引退後西鉄ライオンズ、ロッテの監督、晩年は野球解説者として活躍された。まだまだ若いですから球界のために頑張って頂きたかったが残念のきわみです。ご冥福をお祈りします。