大阪府知事太田氏立候補せず

大阪府知事太田氏は通産省の審議官だった99年、横山ノック前知事が辞職の後当時大阪財界から候補者として指名された。それで大阪府知事の候補者として立候補し当選その後今日まで2期8年を勤めた事になる。大阪府知事として大阪の財界には評判もよく関西空港2期工事の完成、最近ではシャープの最新鋭液晶パネル・太陽電池工場の堺市誘致に成功し、大阪財界からの評価も上がっていた。

しかし一方では政治とカネの問題がちらついたりしていた。つまり企業経営者団体の講演で1回50万円から100万円の収入を得ていた事が分かった。このことを問はれると、高額なものは税務申告をしていたとのことだがつれない回答で周囲にあまり良い感情を与えなかったようだ。また東京に事務所を構え母親を住まわせ5万円の事務所料を送っていたことも明らかになった。

また大阪府の知事として経済界に対しては別として府会議員に対して接触が密でなく(府会議員は情報源にあるにも拘らず)顔は常に東に向いていた。例えば大阪市長選で民主党推薦の平松氏が当選した時平松氏と共に万歳を唱えていた。これに自民党がカチンと来て抗議すると大阪の議員に遺憾の意を表明せず東京の自民党本部に誤りに行っている。自公民の推薦を受けながら地元に対する愛着−というよりも軽視とみられ来年の選挙にはどの党も支援を断りまた種種の各団体も立候補の応援をしないと言明しているので3期目の知事選には出馬したかったようだが各党、団体などの拒否の姿勢が強くやむを得ず断念したようである。大阪財界は多少残念がって入るが止むを得ないところだろう。