女性

原始 女性は 太陽であったー平塚^らいちょう  私事で申し訳ありません。東京に嫁いでいる娘が6月に出産しました。いらい娘婿が隔月ごとに海外出張で夫々一週間程度宅を留守にします。今日まで家を空けるたびごとに娘が一人になるので家内が新生児の風呂などの世話に東京に行き京都の家を空けます。6月のお産の時は1ヶ月程東京に行っておりました。

ひと年取ると家内が家を空けると本当に寂しさもひとしお。昼はさほどでもないですが夜は家内―女性が存在していない事は太陽が山の向こうに姿を隠し辺りが真っ暗闇になったほどの寂しさと侘しさを感じます。女性は明るく暖かい太陽のような存在です。これは女性の持つ特有の母性本能が醸し出すものではないかと思います。家内が家庭にいて自分の部屋で本を読んだり、またパソコンの部屋で半日過ごし別に話をしなくてもなんとなく存在価値があるものです。

小学生の頃いや私たちは「国民学校」と呼ばされていましたが学校から帰り母親の姿が見えないので一生懸命にあたりを捜したあの心理現象が男性にはあるのでしょう。戦時中に戦地で最後を迎える時に誰もがお母さんといって息絶えたと聞いております。女性は若い時には美しく年をとっていい奥さんになり旦那を見送って益々元気で余生を送ります。のろけではありませんが家内が定年になってから料理が旨くなりました。美味しいのです。どうもおかしいレシピで研究しているんじやないかと思っていましたらその通りでした。今日女性の素晴らしさ、包容力、強さ、研究心など今年は家内が八十八箇所の巡礼、娘の手伝いと家をよく空けて私がそのことどもについて感じた事を書きました。皆さん奥様を大事にしてください。