12月8日

1941年私が小学校3年生の時12月8日に大東亜戦争−日本の呼称、連合国は太平洋戦争―が始まった。今の若い人にはただちに分かって頂けないのでハワイの真珠湾攻撃の日とでも言いましょうか。その日以来早いもので66年が経過した。

当時軍国主義の日本が満州―今の中国東北部を植民地にし傀儡政府を創りまた中国に攻め込んだのです。連合国が此れに反対し、米国は日本に石油の禁輸をした。それで日本は資源特に石油欲しさに米、英と戦い南の諸国が米国、英国、蘭などによる植民地だったのでこれの解放という大義名分をつけて南方諸国に攻め込み此れを占領し一時的に日本が開放した格好をとりました。

しかし1942年6月のミッドウエイ海戦で日本海軍機動部隊が米国の海軍機動部隊に大打撃を受け以後日本は戦況は悪くなる一方で東京、大阪はじめ中核都市は殆ど空襲により焼け野原になり、残った広島、長崎に原爆を落とされ日本は連合国に降伏したわけです。それで日本は米国の占領下におかれた。

このとき日米共同で平和憲法が起草され正式に昭和22年5月3日制定されたわけです。パソコ世代の若い人々は12月8日といってもぴんとこないのではないでしょうか。私も若い頃は当時50年ほど前の日露戦争のことは話、書物ではある程度理解できてももう一つぴんとこなかったです。しかしこの12月8日の日本の連合国に対する戦いと敗戦、その結果の世界に誇る平和憲法の所持―永遠の戦争放棄のことは日本にとっての大きな財産ですから記憶していただきたいものです。