家庭の実質的な主人

私は常日頃から家内(女性一般に通じる)の毎日の夕飯の料理に全く感心のほかはない。一日の間に掃除、洗濯その他もろもろの家事をこなしそのうえ毎晩の食事を作る。この作業は殆ど休みというものが無い。

何十年間も毎晩の食事の献立、毎日同じ献立ではいけない。来る日も、来る日も次々と変わった料理を作る。更にその味も家族に喜んで頂くようにしたいと主婦は考へ、調味料の利用加減により美味いものが出来たり、また不味くなったりで自分の頭脳の中のコンピュータを的確に操作しながらの作業はその仕事をしているものしか判らない微妙でむつかしい。

このように主婦としてのルーチンワークがありながら私達の読書量と同程度のものを読む。そのやりくりにはただただ頭が下がる。それと比べると今私は定年で家庭にいるが仕事を持っていたときのことを考えると男性は職場でほぼルーチンワークをこなし帰宅し職場での下らない出来事など家内に精神的ストレスなどの回復相手にし明日へのこころの洗濯場とする。

家庭は女性が太陽的存在のように私は感じる。過程は女性によって成り立つているように思うのは私だけではないはずだ。