佐用町の水害ことども

私のブログの文章に入る前に2こと、3こと述べさせて頂きます。兵庫県佐用町の水害で壊滅状態になられたことについてです。佐用町で15名が水死、16名が行方不明。これらの仏様になられたお方に衷心よりお悔やみ申し上げます。

佐用町には私が大学に通っているころある女性がいました。彼女と大学時代恋愛関係におちいりました。当時彼女は神戸から学校に通っていました。私が就職し、当時結婚が早かったもので彼女は須磨で所帯を持ちました。それでお互いのにお別れ。

かなり晩年になり彼女は離婚して須磨に一人住まい、私は国家公務員ですので筑波大学に勤務し時々電話で須磨、筑波間を近況を話し合っていました。そこで彼女は須磨の家が大きかったものでこれを処分し父母が佐用町に住んでいるので彼女も父母と3人水入らずの生活。しかし父母は90才近く慮心は亡くなりまた一人住まい。私も筑波大学を3年早く退職帰京しある私立大学に再就職しました。

ある日彼女から佐用町に遊びに来ないかとの連絡がありかっての恋人今はジジとババ久しぶりに会うと会わないほうが良かったと後悔しきり。彼女は当時数少なかった文学部で他を圧する美人だったのだが。彼女の父が三菱重工の役員だった関係で大きな屋敷に住んでいたが5,6年前に肺がんで早世しました。それで今回の災害を免れ悲惨な状態を目にせずに終わったことは何よりである。ただ近く7,80メートル先に川があったので屋敷がどうなったか。