大文字の送り火と母のこと

今日は8月16日京都ではうら盆の大文字の送り火が行われる。銀閣寺のつい傍に一番大きな文字の大文字の山がある。高さ300メートルの低い山である。これが京都の東にあり大文字山から左に妙法、宝船、左大文字、鳥居と5山が京都を囲んでいる。

妙法。左大文字は文字で、宝船、鳥居は絵であり8時丁度に東の一番大きな大文字の中心の点火を合図に全5山の文字、絵に火がつく。京都市内のネオンなどは総べて消されて5山の送り火があかあか燃え京都は30分余り神秘的でかっての日本の都を現出する。

この「送り火」をTVのアナウンサー、勉強不足の作家が「大文字焼き」と安物のせんべいのようにノタマウのにはがっかりである。今朝はウオーキングを中止して東本願寺に亡き母の霊に接しにいってきた。母は私の大学一年のとき、つまり昭和27年3月2日の夜脳出血で亡くなった。
私が11時頃布団に入り本を読んでいると階下から父が大きな声で私の名前を呼ぶ声がしたので階下におりた。直ぐに「医者を呼んできてくれ」と怒鳴るように云うもので急いで父の新品の桐の下駄をつっかけて医院に行き急いで帰ってきた。

家に入ろうとすると新品の下駄のはなおがぷつり。ああこれで母の命が無いものと瞬間的に昔からの言い伝えが頭をよぎった。当時は今のように救急車のようなしゃれたものは無かった。それから2時間後には母は召されて天国へ。

私は母の実の子ではなく能登半島の高松で母の妹の子としてうまれ堀田家に子が無かったもので生まれて1月程度で京都に養子として貰われて来た。母は派手好みでかなりの美人で彼女が存在するだけでその場は大輪の花が咲いたような雰囲気を醸し出し、明るく気前もよく、誰からも好まれていたようである。

それに歌舞伎のような高尚な芝居ではなく大江美知子のような大衆芝居が好きでよく連れて行って貰った。美容室を経営しきるものも派手でお召し、金紗などやわらかものをこのんだようだった。それに酒、たばこもすきデ当時進駐軍から闇でしか入らないラッキストライク、キャメル。フィリプモリスなどを口にしていた。私は好きなものを口にし見たいものをみていつ死んでも云いと気楽な人だった。彼女は浄土真宗で死んだら本願寺阿弥陀様の下に祭って欲しいが口癖だったので今朝東本願寺へお墓参りに行ってきました。