大阪タイガースの黒のユニフォーム

現在阪神タイガースは昭和25、6年(1950)頃に身につけて戦った黒いユニフォームを着てペナントレースを争っていた。当時の黒のユーにホームで戦ったオーダーは呉、金田、別当、藤村、土井垣、本堂、玉置、(投手) 長谷川の不動のメンバーだった。私は中学3年生、高校1年生だったと記憶している。

当時の「大阪タイガース」のユニフォームは真っ黒で、いまのように濃紺ではなかった。それに現在のそれはスマートで袖、胸に白のラインが入り入っている。「大阪タイガース」は全て野暮ったくぶかぶかで、いかにもダイナマイト打線の面々にふさわしかった。

オーダーの呉から本堂まで三割ばったー、別当、藤村はホームランバッターで常に彼らは打撃ベストテンをにぎわしていた。玉置、長谷川も三割ちかくうち打線に切れ目がなかった。この黒の連中は大阪タイガースがアヘッドされていて、反撃が始まるとベンチで「それゆけ!」と新聞紙に火をつけダイナマイトに火がついたと選手が大騒ぎしたものである。3番別当は慶応大出身でミス大阪と結婚し阪神にはスマートすぎる人材であった。また4番藤村は37インチの物干竿と呼ばれるバットを振り回しホームランをかっ飛ばしファンを大喜びさせたものである。

投手は若林、梶岡、御園生、この中で快速球でいつも打者に立ち向かった梶岡が大好きだった。懐かしい黒のユニフォームの「大阪タイガース」の半世紀前の話である。