日本の小型ジェットの生産



またもや日本の空えの挑戦が始まった。敗戦で日本の航空機の生産は米国の占領軍により一切まかりならんと言うことで飛行機は米軍により焼却処分、飛行機の図面も米側に、飛行機に関する資料はほとんどなく、飛行機に関しては全く丸裸同然にされてしまった。


しかし航空機生産が永らく禁止されていたが、1962年日本航空機製造のYS11が生産を開始、双発の小型プロペラ機で極めて優秀な構造を持ったほとんどトラブルもなくい快適な飛行機が誕生した。しかし販路がうまく行かず、また経費がかかりすぎて赤字が膨らみ生産中止となった。

しかし戦前、戦時中は日本は世界でも一流の飛行機を大量に生産した経験がある。そこでこの度YS11を飛ばした経験から100人乗り以下の小型ジェットの製造に力を入れることになった。これの生産に取り掛かるのは三菱で、「ミツビシ・リージョナル・ジェットMRJ)]とよばれる。すでに100数十機の販売がきまっている。

このクラスの旅客機は、カナダのエンブラエル、ブラジルのボンベルディアが先発として世界的にシェアーを握っているのでこれに食い込むためによほどの努力が必要だろう。日本では機体かに関してはかっての日本の持つ経験から問題はないと信じる。ただ販売でYS11の失敗の徹を踏まないことを祈る。