少年野球の始まり(2)

私はピッチイングが心から好きなもので近所のH君を近くの3メータ50くらいの通に座らせて毎日1時間半余り投げまくった。彼がR大の付属中学で今のK産大のあったところで、帰宅するのが少し時間がかかった。それで彼の帰りを毎日首を長くして待った。ピッチイング練習をしていた通りといっても今のように舗装はしてなく両サイドは畑だった。勿論車など走っているわけがなく人もほとんどッ通らない。

彼はキャチングが大好きで、この取り合わせは今後の野球のバッテリーを決定ずけた。彼のキャチングもうまく1球ごとの掛け声はこちらも調子に乗り、スリークオーターからの快速球に自然と力がはいった。彼とのピッチングでアウトコースに落ちるカーブをマスターした。この道での私のピッチイングのコントロールもよくなり、私がかって町内対抗少年野球で雨のクリスマスに惨敗したようなことは絶対ないぞと余裕がでてきた。

更にバッティングである。これも第三高等学校のテニスコートから隣接しているK大学の工業化学サイドの草むらの広場に打ち込むのである。ゴロはテニスコートそのものが周囲がフェンスで囲まれているもので安心して打てた。だがこの部分はコート2面でフェンスオーバーは球が草むらに入り探すのに一苦労した。ここでも私は自慢じゃないが大きいのをよく打ち球拾いにみんな苦労した。この時期にY地区の町内対抗野球が大人地によって企画され、どの町内が優勝するか我々少年はおおに期待と希望で胸を膨らませた。