少年野球の始まり(3)


Y地区の町対抗戦は春休みに行われた。大会が挙行されるまで1週間。我々野球少年が集まり練習したのが一日のみ。いよいよY地区の町太鼓野球の抽選会。我々のI町は優勝の呼び声高いN町と当たり、これは大変なところと当たった。当たって砕けろともう戦う前から意気阻喪。

このチームにはK商業のM君、D商業のT君(駐1)それ以外にもキラ星のごとく名手が揃っていた。我がチームはK帝大に隣接した町内で少年も比較的少なく余り有能な少年選手が少ない地域であった。名手と言えば後K大に進みラグビー部で活躍した秀才Tくんぐらいのものか。

我々のチームの監督は拙宅に下宿していたK大に在籍していたSさんという学生で、競技場所は第三高騰の広いグランであった。我々は第一試合でこの強敵に対峙した。ピッチやーは私で試合前の私のピッチングを丹念にチェックしていただき、またシートノックもSさんにして頂いた。この試合はキャプテンの私が相手チームのキャプテンのT君とじゃんけんをし、私が後攻を選んだ。

駐1:私と同学年。O高校の軟式野球部のピッチーヤで全国制覇し、高校卒業後大洋ホエールズに入団、大洋で12勝する。その後阪急ブレイブスに移籍トータルで数十勝の実績を残している。
彼の隣の町内の従弟は京都第一商業が毎日新聞社の甲子園春の大開で優勝しとき時のキャチャーで、慶応で平古場とバッテリーを組み慶大の黄金時代を築いた。」